武田八幡宮

春の信玄公祭り 祈願祭で賑わう武田八幡宮

百体の観音像の刻まれた一石百観音石碑

武田八幡宮の麓に広がる棚田 山梨を代表する穀倉地帯である

 

武田八幡宮神楽より神乃舞

武田八幡宮神楽より天の鈿女の舞

素戔嗚鵜命(すさのうのみこと)大蛇退治の舞

初冬の応仁塚(わに塚)

厳寒の武田八幡宮境内

武田八幡宮二ノ鳥居付輿石

二ノ鳥居付輿石
市指定文化財
武田八幡宮二ノ鳥居付輿石
昭和六十年二月一日 市指定 神山町北宮地
創建
鳥居用語図

武田八幡宮の二ノ鳥居は、神山公民館の裏側に在る大鳥居です。建てられたのは、いつかはっきりしません。額束の裏面には、元禄十四(1701)年再興、寛政元(1789)年再々興とあるので再興してから二八十年余の歳月が経っていると思われます。この雄大な両部鳥居(本柱の前後に二本ずつの角柱がたてられて上下二本の貫で連結されて補強の役目としているこの種の鳥居を四脚鳥居または両部鳥居という)は、八幡宮の神威を象徴しているようです。

高さ7メートル、笠木の長さ9.8メートル、柱間は上部4.9メートル、下部5.2メートルで転(柱の上部で互いに内側にハの形に傾けてあること)がつけてあります。

柱の上部には台輪はなく、島木や笠木はやや反りをもち、笠木は板葺であったが今では亜鉛板葺となっています。中央部に武田八幡宮と書かれた額が掲げられていますが、これは信玄公が書いたものと伝えられています。武の字が一画多いのは万を抜かないと、仏道に帰依した公の心情を表わしたものと言われています。文字も風化して今では、はっきりとしていません。

輿石は、名のように神輿が一時休むためのもので、鳥居の両柱の真中に据えられていました。昔は村人の往来は鳥居の南側を通っていましたが、戦後になって輿石は鳥居の北側のわきに移され、今では鳥居の下も舗装されてしまい時代と共に変わってきました。

(『ふるさと読本「かみやま」』韮崎市立神山公民館、1993、62)